こんにちは、げんげんです。
今回は、前回の団体という環境でやる場合の
多様な人との共存に続き、体育会系の組織への対応について話していきます。
実は体育会系の音楽
音楽というとおしとやかな人たちの集まりのように感じられるかと思いますが、実は体育会系です。
※体育会系とは:
ここでの体育会系は、組織やその上の者からの意向・命令は絶対で基本全力で全うするという組織です。多少意味不明だったとしても、基本従うので組織としてまとまった成果が出るような環境にあります。そして組織として、(半強制的に)モチベーションも高い状態が維持されます。
音楽の場合、その団体の種類(オーケストラ、合唱、室内楽…)によりますが
やはり全体で一つの音楽を作っていく上では誰かトップがまとめ、(意見交換や紆余曲折あれど)その決定にメンバーは従っていかなくてはなりません。
でないと全体感のある一つの音楽は作れません。ここはスポーツをする体育会系と変わらないのです。
音楽は基準があいまい
しかも音楽では、スポーツのように明確な勝敗はありません。
ぶっちゃけそれぞれの音楽の好み、解釈、音楽性です。
(コンクールも評価シートがあれど、評価者がプロでもその経験や背景に基づいて評価している点であまりそこまで変わらないのではないかと思っています。)
バンドはこの音楽性の違いでよく解散していますが、大きい組織では気軽に解散することもできません。個人にできることはそこを退出することだけです。
そうなると多少音楽選好が異なっていたとしても、意見を交わしつつ、どこかで妥協して従わないといけません。
私はこれを「隠れ体育会系」と呼んでいます。(今名付けました)
現在や過去に音楽をやっていた方は、客観的に振り返ってみると隠れ体育会系が存在していたことに気づかれるのではないでしょうか。
しかも日本では、業界にかかわらずその限られたスキルを極めた人がそのマネジメントに回るのが一般的です。
それによって、人のマネジメントが得意でない人がそのトップについてしまうことがあります。
だとしても従わないといけないことはよくあることです。
音楽の体育会系の例
わかりやすい例で言うと、運動部ばりの大きい声の返事ですね。(他校と合同演奏などやると浮きます)
それ以外だと、やたらと上下関係が厳しく後輩が委縮しているパターンもよくあります。
そしてなぜかその後輩が最年長の先輩になると、後輩に厳しくなります。
逆に自分たちは仲の良い組織にしたいと思い、緩くする場合もありますが、翌年の代でもっとまた厳しくなります。
体育会系じゃないパターン
ちなみに、体育会系でなくても成果が出せる(=良い演奏ができる)のは、プロ(または相応の技術・経験を持つレベルの高いアマチュア)の集まりくらいです。
それぞれが言われなくても、自らが必要とされる役割を分かっており、それなりのモチベで自発的に組織に貢献している状態です。
ここには一定レベル以上の技量・経験とプロとしての仕事を全うする意識が必要となります。
もちろんプロレベルじゃなくても、ほどほどで音楽やるという趣旨の組織であれば、体育会系ではなく団体の音楽をすることもできます。
ただその際は、互いに同じレベルの妥協点を共有しておくことは必要です。
上記は教育の観点で言うと、子供に苦手意識を持たせないように始めるという意味ではよいですが、勝手に親が子供の妥協点を決めて成長の機会を奪ってしまうのはよくないかなと思います。いわゆる過保護な親の部類に入ってしまいます。
結局、体育会系よりが良いかどうかは子供に経験させないとわからないので、やりつつこまめなコミュニケーションをとるのが良いです。
体育会系が一概に悪いわけではない
体育会系が苦手な方もたくさんいるかと思います。
ほどほどで良かったり、他者から言われなくても個の意志でどうにかできたりするなど。
ただ組織で大きいことを体育会系であるほうが大きなことはしやすいです。
体育会系でなく成果を出すには、プロレベルの技量・経験・モチベーションが求められます。
状況やメンバーによって使い分けることが大事ということです。
世の中は割と体育会系の組織の方が多いので、ある意味「社会経験」として子供にこのような組織を経験させてみるのも良いのかもしれません。
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